2018年3月20日火曜日

二階堂

日本人のお名前の番組で取り上げられていました。
永福寺(ようふくじ)は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、荘厳なさまに感激した平泉の二階大堂長寿院を模して建久三年(1192)に、工事に着手しました。【案内板より】
 写真では、中央の基壇から奥の方にあります。礎石の本物は土の中で、表れているのはレプリカのようです。



鎌倉歴史散歩/奥富教之著/新人物往来社発行 によれば
北の薬師堂(写真では手前の基壇)、本堂の永福寺(二階大堂)、南の阿弥陀堂とからなっている。左手の池は毛越寺の池を模したのではないかと書いてある。頼朝は工事の時に近くの藤原行政館に立ち寄っている。のちに、二階大堂のある永福寺の近くに館があったことから藤原行政は二階堂行政と名乗ることになる。このあたりの地名も二階堂と呼ばれるようになった。流れている川も二階堂川である。下の写真の真ん中、ひらがなです。

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