2017年11月17日金曜日

奈良時代

 奈良時代とか平安時代とか今まで意識して来なかったのですが、奈良時代というのは大変な時代ではなかったかという気がしてきました。七一〇年から七九四年まで短期間です。律令制がうまくいかない中での、彷徨。問題続発の中で解決のために平安京遷都が行われたと思います。その前の長岡京に遷都するのも主導者の藤原種継が暗殺されています。遷都しなければ、大和の政権は崩壊していたかもしれません。このような混乱した中にあって、天平文化が花開いたといわれるのがすごくギャップがあります。正倉院展で以前展示された聖武天皇の仕込杖など印象に残っています。クーデター的なことを常に意識していたかのような遺品に驚いたことを思い出します。文化的にすぐれていたものが残っているということと、政治的には不安定であること、これがどうつながるのかということが、今後考えていかないといけないことであると思います。
 万葉集にも大仏開眼の話はないように思われます。無視することで、大仏反対の無言の抵抗をしているような気もします。山水画で雪を表すのに墨で周りを示して余白に雪を感じさせるように、記述がないと言うことも意味があるかもしれないです。
 家持略年譜を見ると、大仏開眼供養の天平勝宝四年(七五二年)、二月に大伴御行の歌が出てきます。四月開眼供養がありましたが、十一月の橘諸兄宅の宴歌まで作歌がないそうです。略年譜の一般事項の欄に開眼供養の終了後に天皇(孝謙天皇のこと)は藤原仲麻呂邸に還御する。とあります。何かあったように勘ぐります。
 オリンピックのような祭典が行われたとして、周辺で大規模な反対デモがあったことが記録から抹殺され、後の人が平和な時代だったと錯覚するような可能性があるのではということです。
 このあたり思いつきです。図書館に返却しないといけないので、また読むことあるかもしれません。メモっておきます。
家持略年譜は、王朝の歌人2、大伴家持、橋本達雄著
全体に読まないといけないと思った本は
万葉集をどう読むか
 ーー歌の「発見」と漢字世界  神野志隆光著、東京大学出版会

昔の記事の引用です。
東大寺
http://yasudakasetu.blogspot.jp/2015/02/blog-post.html

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