2014年11月24日月曜日

東西南北の名字

 石造美術の勉強会で能勢(大阪の北部)に連れて行ってもらいました。鎌倉・室町以降の石造品が多く残っているところです。本光寺のお墓で東家と喜多家がありました。何軒かあったので、昔からそこに住んでいて、東と喜多(北)がペアになっていると思います。またその後、近くの今西共同墓地に行きましたが、その地域で西のつく名字を感じました。おそらく今西も元は岩西ではなかったかとも思いますが、この地域で西のつく名字があり、方角を感じました。西方浄土の考えが残っているのかもしれません。ここで南はどうかと言うことです。お墓で南があると早とちりしましたが、南無妙法蓮華経の「南」の文字でした。能勢氏中興の祖、能勢頼次が領内の寺に日蓮宗への改宗を命じたことにより、この地域は日蓮宗に変わったしまったようです。従って南家のお墓は紛らわしいのか、名字に使うのはけしからんということなのかわかりませんが、無くなってしまったのではと思いました。このあたり調べれば良いのですが、思いつきで、裏付けはありません。